言葉の語源はこんなにも面白い

言葉

日本語には「なんでこういった字をあてるんだろう?」「どうしてこんな意味があるんだろう?」という言葉がたくさんあります。

それが日本語の面白さでもあるのですが、やっぱり言葉と意味が繋がらないと腑に落ちなかったりモヤモヤしてしまいますし、意味も覚えにくいですよね。

でも、その言葉も語源や成り立ちを知ると、とてもスッキリして、誰かに話したくなるものばかりです。

今回は面白くてタメになる言葉の語源をご紹介します。

腑に落ちない

ちなみに、、、「腑に落ちない」の「腑」は「はらわた」「臓腑」のことです。そして「腑」には「考え」や「心が宿るところ」と考えられ、「心」「心の底」という意味があります。

ですので、「腑に落ちない」の意味は「人の意見などが心に入ってこない(納得できない)」ということです。

「腑に落ちる」という肯定する使い方は間違いではなく、明治時代の文献にも見られ、「納得がいく」「納得する」という意味で用います。

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有難う

「有ることが難しい」が語源です。

「有ることが難しい」とは、希少価値があるということですので、めったにないほど優れているという長所を表す言葉になりました。

さらに、そのような状態を感謝する意味に変わっていきました。

嬉しい

「女が喜ぶ」と書いて「嬉しい」。

「喜」は、ご馳走様と口を表していて、女性がにぎやかに食事や会話を楽しむ様子が「嬉」という字になりました。

ちなみに、「うれ」「うら」は「心」を表しており、「羨ましい」「恨めしい」「憂い」など、多くの感情表現の言葉となっています。

愛嬌

元々は仏教用語の「愛敬(あいぎょう)」という、慈しみ敬うという意味でした。

その後、濁りがとれて「あいきょう」に変わり一般的に使われるようになり、「敬う」という意味合いは薄れていきました。

そして、「可愛い」「愛くるしい」という意味をもつ「嬌」の字があてられ、「愛嬌」となりました。

勉強

「強いて勉める」と書く通り、元々は困難なことに一生懸命取り組むことという意味でした。

それが、「学ぶ」ということの意味に変わっていきました。

大切

「切」という字には、刃物などで切るという意味のほかに、「差し迫る」「身に迫る」などの意味があります。

「大切」の場合は、「差し迫る」「身に迫る」の意味に、それを強める「大」をつけて、大いに迫る=大切となったと考えられています。

土産

「土産」は「とさん」「どさん」と読み、従来は、その土地の特産物という意味でした。

それに別の言葉であった「みやげ」があてられました。

「みやげ」の語源ははっきりしておらず、神社でもらうお札を貼る板である「宮笥(みやけ)」という説、人に贈る品物を表す「見上げ」説など、諸説あります。

万歳

「千秋万歳」という四文字熟語が語源です。

「千秋万歳」とは、歳月が非常に長いという意味で、長寿を祝う言葉です。それが、おめでたいときにとなえる「バンザイ」となりました。

ちなみに「万歳」は、「ばんぜい」「まんざい」とも読みます。

肩代わり

駕籠(かご)を担ぐのを交代するという意味が語源となっています。

駕籠を担ぐことを交代することが転じて、借金や面倒なことを他の人に代わって引き受けるという意味になりました。

億劫

元々は「おくこう」「おっこう」と読んだ仏教用語です。

「劫」は、計ることができないほどの長い時間のことで、それが億もあることから、時間がかかって大変で、わずらわしくて気が進まないという意味になりました。

八百長

明治時代に実在した「八百屋の長兵衛」さんという人が由来になっています。

「八百屋の長兵衛」さんは「八百長」と呼ばれており、得意先の人と囲碁をさすときはわざと負けて機嫌をとっていました。そのことから、わざと負けたり勝敗を示し合わせることを八百長というようになりました。

村八分

江戸時代、人と人との交際は十種類に分類されていました。冠(元服)、婚礼、出産、病気、建築、水害、年忌、旅行、葬式、火事の際の消化、です。

そのうち、付き合うのは葬式と消化の二つだけで、残りの八つは付き合わずに済ませるという意味です。

それが、仲間はずれを意味する村八分というようになりました。

ご馳走様

昔は、食事を出して客をもてなすために、馬を走らせて食材を集めることがありました。そこから、走り回るという意味の「馳走」が使われました。

「ご」と「様」は、もてなされる側が感謝の意味を込めて丁寧につけたものです。

稲妻

初秋、稲が実る頃には雷が多く発生します。そこで、昔は雷光が実りをもたらすという考え方がありました。

一方、現在は「妻」といえば女性のことですが、昔は夫婦・恋人同士が相手を呼ぶときは性別に関係なく「つま」でした。

そこから、稲にとって大切なものが「稲のつま」で、のちに「妻」の字をあてて「稲妻」というようになりました。

下戸

下戸(げこ)とは、お酒があまり飲めない人のことをいいます。

昔の律令制では、課税の負担や貧富の差によって、大戸(だいこ)・上戸(じょうこ)・中戸(ちゅうこ)・下戸、と等級が分けられていました。

そのなかの「下戸」はもっとも貧しい家のことで、婚礼などのときのお酒の量が少ないことから、お酒があまり飲めない人のことを「下戸」というようになりました。

醍醐味

牛乳を生成する過程を五段階に分けたとき、もっとも美味しいとされるのが最終段階の「醍醐」です。バターのように濃厚で甘みのあるものとされています。

そこから醍醐味は、味だけでなく、なんともいえず面白い・楽しい、という用法に広がりました。

ちなみに、牛みゅうを生成する過程の五段階は、乳・酪・生酥(しょうそ)・熟酥(じゅくそ)・醍醐、です。

虎の子

大切にして手放さないものや秘蔵の金品を「虎の子」といいます。

虎の子供が貴重という意味ではなく、虎は自分の子供をとても大切に育てるといわれていることから、秘蔵品や大切にして手放さないもののたとえとして生まれました。

御託

「御託宣」を省略したもので、元々は神のお告げや有難い言葉でしたが、次第に偉ぶった語り口が反発を呼び、「もったいぶった傲慢で中身のない話」を御託というようになりました。

現在では「御託を並べる」というように使い、自分の言い訳を勝手に並べるといった意味に成り下がってしまっています。

私語

「私(わたくし)の語」と書くため、公の話に対する個人的な話という意味にとらえられがちですが、この場合の「私」は、「内密のこと」「ひそやかに」という意味です。

「私語」とは、「ひそひそとささやく」が正しい意味です。

柏手

神様を拝むとき、両方の掌を打ち合わせることです。

「拍手(はくしゅ)」と字が似ていることから、間違えられて「柏手」と書かれ、それが訓読みされて「かしわで」となったという説が有力です。

内緒

「内証(ないしょう)」という仏教用語が変化した言葉です。

「内証」とは、人それぞれの心の中の悟りという意味です。内証は他の人にはうかがい知ることができないので、秘密という意味を持つことになったといわれています。

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